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2016-09-15

【骨壷(骨壺)に心】多くの人に選ばれる「はなみずき」の骨壷|英一郎製磁


骨壷(骨壺)-はなみずき-花ことばは「返礼」「永続性」

骨壷 はなみずき 英一郎

まるで本物のような繊細さがある「はなみずき」の骨壷。
そこに白いはなみずきの花が咲いているような「骨壺」は、一輪一輪手作業で創り出される波佐見焼をルーツとする白磁だ。

はなみずき 骨壺 英一郎製磁

【はなみずきの骨壷】を選ぶ人が多い理由に花言葉が「永続性」や「返礼」という意味があるからです。また、花言葉の背景にまつわる物語を知っていて、選ばれる人が多いというのもあるかもしれません。

 

今に続く物語


それは約100年前。
日本とアメリカの間で行われた出来事。
いったん消えかかったその出来事は関わった人たちの強い“想い”で実現しました。

あれから約100年。

日米両国にそれはしっかり残っています。
2015年4月、キャロライン・ケネディ駐日米大使も臨席して都内で行われた100年祭。日本郵便からは記念切手も発行されました。
そこにあるのは、当時両国で動いた人たちの100年間の想いの「永続性」と「返礼」です。

サクラとハナミズキの物語 ※このページの最後にご紹介


 

依頼された「はなみずきの骨壺」がはじまり

福岡県春日市。そこで焼き物が作られているとは思えない閑静な住宅街という場所に、窯をかまえた工房「英一郎製磁」がある。代表の森永英一郎氏のルーツは10代にわたり江戸時代より波佐見焼を生産してきた窯元「福幸製陶所(幸山陶苑)」

福岡 春日 英一郎製磁

彫刻的繊細な要素を無彩の白磁に施す世界観はここでつくられる。

英一郎製磁が「骨壷」を作り始めたのは7年前ほど。それは知人からの依頼で、若くして亡くなった親族のための「骨壷」作陶からだ。その骨壺づくりを通して、残された家族、故人へ骨壷を作ることの想いに触れたことがその後の骨壺づくりのきっかけになっている。

骨壷作陶中のはなみずき

使命「骨壷」づくりの意味

骨壷といえば、葬儀会社のカタログからその場で選ぶのが一般的。死をイメージさせる骨壺は話すことさえも避けられきてたが、「人が最後に入る“終のすみか”であり、残された家族の“想い”が入るのがお骨壷」という英一郎氏は骨壷づくりを決意。

英一郎 

「墓石を事前に準備するのは当たり前になっている。骨壷も事前に準備するには故人、家族の想いが入る要素が必要だと感じました。焼き物の家系に生まれながら彫刻家を目指した時もあったからこそできる骨壺づくりが使命」だと、今、英一郎氏は骨壺づくりを「使命」と言い切る。

骨壷 はなみずき中 英一郎

白磁彫刻家・英一郎がつくる骨壷の世界

■2012年2月英一郎銀座個展会場

前年12月にお亡くなりになられた脚本家市川森一先生(大河ドラマを始め数多くのドラマや映画を手がけた日本を代表する脚本家)の奥様である女優柴田美保子様が会場にお越しになりペアでのお骨壺のご依頼(奥様には生前お骨壷)。

市川森一 骨壷 英一郎

デザインは従来のお骨壷のイメージのとらわれることなくより「象徴的」で「モニュメンティブ」なものをとのご要望を頂き市川先生が生前愛されていた自然、森、楠の木などをモチーフに。

市川森一 骨壺 英一郎製磁

“終活” 生前準備に広がる英一郎のお骨壺

女性の方を中心に生前準備に好評な「はなみずきのお骨壺」。
英一郎氏は「生前はお気に入りのアクセサリー入れなどに使われる方がおられます。」という。

■2016年4月 料亭桜坂観山荘
桜坂観山荘 英一郎 骨壷

■2016年6月 博多マルイ
博多マルイ KITTE博多

■2016年7月 小倉井筒屋
小倉井筒屋 英一郎 骨壷

■2016年9月 長崎浜屋
長崎浜屋 骨壷 英一郎

 

工房まで見学されに来られる方も

最近ではテレビや雑誌などでも取材を受けることがある英一郎氏。

KBC九州朝日放送 サワダデース

KBC九州朝日放送 サワダデース

情報誌 シティリビング

情報誌 シティリビング

そのためか閑静な住宅街にある工房まで骨壷を見学される方が訪れる。

話を聞くと、それは作る英一郎氏に骨壷の制作に関して“想い”を伝え、彼と共有しようとしているかのように感じる。
工房には、製作途中の様々な作品が並ぶ。ここでご本人のお骨壺の時もあれば、ご家族のお骨壺の話をじっくり伝えあっている。

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「ひとつひとつ手作業の桜の骨壷はひとつひとつ微妙に違いがあります。それは手作業だからというのもありますし、湿度や気温といった環境にも左右されます。ですが、ひとつひとつにかける気持ちは同じです。」

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英一郎製磁 代表/白磁彫刻家  森永英一郎
英一郎製磁 英一郎
武蔵野美術大学彫刻科専攻
ルーツは10代にわたり江戸時代より波佐見焼を生産してきた窯元「福幸製陶所(幸山陶苑)」。母は陶芸家福重美和。

彫刻的繊細な要素を無彩の白磁に施す作陶は英一郎独自の世界観がある。従来の焼き物のイメージにとらわれない作風を確立。

代表作
□世界的ピアニスト 故園田高弘氏を顕彰する白磁製メモリアルレリーフ像を制作
□日本音楽教育の先駆者 故園田清秀氏のブロンズレリーフ像を制作
□脚本家 故市川森一氏 白磁彫刻骨壺制作
□市川森一 脚本賞 トロフィー制作

 

生前準備など女性からのご注文が多い「はなみずきの骨壷」

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あなたや大切な方の“終のすみか”はやっぱりお花があった方がいいと思われる方が多いです。
「永続性」「返礼」の花言葉がある「はまみずきの骨壷」は日本人の心のなかにいつもあるようです。

【1】はなみずきの骨壷 サイズ/中  白磁[U2001-1] ¥216,000‐(税込)

hanamizuki_okotsutsubo_l_e-64はなみずきの一番ご注文が多いお骨壷。
丸い形とサイズ、花のバランスが嬉しいです。少し小さめですが近年は納骨スペースの確保が難しくお骨壷は小型化の傾向に。

サイズ/縦175×横165×高さ146mm

■こちらの商品はネットからご注文頂けます>>>

※クレジットカード・他がご利用可能

【2】はなみずきの骨壷‐筒型‐  白磁[U2002-1] ¥226,800‐(税込)

hanamizuki_okotsutsubo_l_cylindrical_e-63一般的な筒型の骨壺に英一郎の彫刻的要素が入っています。
もちろん、花のパーツは 作家みずからひとつひとつ心を込めてとりつけています。

サイズ 縦175×横165×高さ240mm

 

英一郎

英一郎製磁公式サイトへ>>>

 

ワシントンへの桜樹寄贈は、親日家外国人の働きかけがきっかけ

シドモアは来日したことがあり、その際に日本の桜に感銘を受けていました。

■明治42年
シドモアはタフト大統領夫人に対し、新しい公園に日本の桜を植えるよう伝えます。

それを受けたニューヨーク駐在総領事は外務大臣小村寿太郎に、ワシントンに日本の桜を植える計画があるので、東京市長の名でワシントン市へ桜の寄贈をしてはどうかと打診しました。

そして、東京市長名で正式に寄贈することが決まったんです。

2000本の桜を積んだ郵船加賀丸は横浜を出港、シアトルに入港します。しかし、桜樹検査の結果、カイガラムシやスカシバなど、米国には未存在の病虫害に侵されていることがわかり、残念ながら全て焼却処分されてしまうのです。

■明治43年
東京市はワシントンへ再度、寄贈の提案をします。

農事試験場で手厚い栽培を行い、病害虫のない桜苗木3,000本を約2年の歳月をかけ準備します。そして明治45年12月再びワシントンへ送付します。翌年、日米両国待望の桜樹はワシントンに無事到着しました。

ワシントンに桜が植えられて4年後、スウィングル博士が東京市へやってきます。ワシントンの桜の生育状況の報告と、感謝の意を表するのが目的でした。

この時、博士は北アメリカ産の国家的・国民的花木であるハナミズキを返礼として持参し、東京市へ寄贈、日比谷公園等に植樹されたのです。

【国立国会図書館 レファレンス共同データベース参照】


こうして「返礼」として日本にやってきたハナミズキは1本が現存しています。

米国から贈られた「ハナミズキ」100年祭、日米親善のもう1つの‟絆”(nippon.comへ)>>>

サクラとハナミズキの物語、そこにある花言葉の由来「永続性」と「返礼」。初めて知った方もおられるのではないでしょうか。当時から今に続く、多くの人の“想い”で繋がっています。

 

女性の方から「白のお骨壷は冷たい感じがする」とのお声から、ご要望の多かった「薄赤のお骨壷」が誕生しました。

骨壷 ピンク 桜 はなみずき

偶然なのか、英一郎氏の骨壷にはサクラのシリーズもあります。
あわせて桜の骨壷もぜひご覧になってみて下さい>>>


■ご質問・お問合せ(英一郎製磁に直接届きます)

eiichiro-askサイズ感・納期などのご質問が一番多いですが、その他も気になったことでご確認したいこと等ございましたら、お気軽にお問合せください。

作陶などですぐにご返信できない事もあるかと思います。予めご了承頂けたらと思います。
英一郎


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